6億年前の記憶

6億年前の記憶が蘇った。

創世記の頃の思い出だ 。

ここまで戻るともう何もかもない、何もかもなし。

何もかもなしという言葉もないくらい何もかもない。

これを書いているのは日常生活の中でもう思い出すことはないだろうと言う ことで書いている。