私たっちゃんは 自分の道を発見した。
それが私の人生の目標だったのだ。
しかし私たっちゃんはこの世を生きる 方便がなかった。
辛い道のりだった 。
そして根源まで戻った 。
根源まで戻っても 生きる苦労は同じだ。
そんな時、サマーディを体験したいという高齢者に出会った。
若い時から瞑想修行をしていたのであろう、その 高齢者の心残りは知らないということだった 。 根源を。
目に浮かぶ、その高齢者の人生が 。
ヘッドトリップ。
その高齢者とともに私はベッドの上に横たわった 。
心 残りなんだね 。
サマーディが何であるかを知らないその高齢者に告げる。
サマーディ というのは自分が 死ぬことなのだ。
死は誰にでも平等に与えられる。
人は生を生きるのみ。
さあ、生を楽しもう。
やっと理解できた 。
その高齢者はサマーディという遊びを したいのだ。 ただそれだけの理由なのだ。
なぜなら死は平等に与えられていて、 誰でも 死ぬからだ。
私たっちゃんは 根源の導き手ではなく 、その役割ではないのだ。